津地方裁判所 昭和52年(行ウ)6号 判決 1982年1月28日
原告 福角ゆきえ
被告 熊野労働基準監督署長
代理人 山野井勇作 横井芳夫 北河登 押田熙 尾崎慎 ほか五名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対してなした昭和四九年一〇月二五日付労働者災害補償保険法による遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は亡福角裕行(以下、亡裕行という。)と夫婦であつたところ、亡裕行は石原産業株式会社紀州鉱業所(以下、紀州鉱業所という。)に坑内夫として就労していたが、昭和三七年一月一五日、じん肺法によるじん肺管理区分「管理四」と決定され、けい肺による高度の心肺機能の障害その他があつたため、同月二二日から同社紀州診療所(以下、紀州診療所という。)において、けい肺結核症の疾病名で通院受療していた。
ところで、亡裕行は、昭和四九年六月二二日、胃腸障害を訴え、食欲が不振となつたため、紀州診療所に入院し、更に、同年七月一日、新宮市立市民病院に転院加療していたところ、同年八月一六日、けい肺結核症に起因した胃がんにより死亡した。
2 原告は被告に対し、亡裕行の死亡が業務上の事由によるものであるとして、遺族補償年金給付及び葬祭料の請求をしたところ、被告は、昭和四九年一〇月二五日付で、亡裕行の死亡原因である胃がんはけい肺症とは因果関係がないから、亡裕行の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右各請求についていずれも不支給の決定(以下、本件処分という。)をした。
3 原告は、被告の本件処分を不服として、三重労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は昭和五〇年三月二二日付で右請求を棄却した。そこで、原告は、昭和五〇年五月三日、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、同五二年五月三一日付で右再審査請求を棄却する旨の裁決をなし、同年七月一二日、原告に対しその旨の通知をなした。
4 しかしながら、亡裕行の死亡はけい肺結核症に起因したものであるから業務上の事由によるものである。
(一) けい肺と胃がんとの相関関係について
(1) けい肺は、外界のけい酸粉じんが多年にわたつて気道から吸入されて肺に沈着した結果、肺に慢性汎発性の線維増殖が起こり、心肺機能の低下が生じる疾病である。
(2) そして、亡裕行は、前記1のとおり、昭和三七年一月一五日以来、紀州診療所に通院し、治療を受けていたが、心肺機能は年々低下し、同四八年になると、肺活量が通常人の三分の一程度に低下するとともに肺性心にも罹患し、心機能も低下し、慢性的な酸素不足の状態に陥つた。
(3) ところで、胃は慢性的な酸素不足の状態が続くと腫瘍あるいは炎症が発症しやすい臓器であり、このため、じん肺患者は、肺がんをはじめがんで死亡する確率が高くなつている。
(4) また、けい肺症に罹患した患者は、けい酸のみならず、各種の無機性粉じんに暴露されたところ、けい酸じん暴露を受けた者の胃がん発症率は疫学調査上有意性をもつている。これは、吸入された粉じんは、肺にじん肺性の病変をもたらすのみならず、少しずつ溶解して全身の臓器に分布し、炎症を起こすとともに、がん原物質があれば慢性炎症の後、発がんに至るのである。しかるところ、亡裕行は、ひ素、カドミウム、コバルト、ニツケル、マンガン等がん原物質ないしは催炎物質を含む粉じんを吸入した。
(5) このように、亡裕行が胃がんに罹患したのは、紀州鉱業所において粉じんの暴露を受けたことによる。
(二) 胃がん根治手術のけい肺による困難性について
亡裕行は、昭和四八年二月ころ、既に胃がんに罹患していたと考えられるところ、亡裕行は、そのころ、既に重篤なけい肺患者であつて、著しい心肺機能の低下と肺性心があり、全身的衰弱もあつたため胃がんの根治手術を受けることが不可能であつた。このように、亡裕行は、けい肺症に罹患していたため、胃がんの根治手術を受けえなかつたのであるから、その死亡は、紀州鉱業所において粉じんの暴露を受けたことに起因するというべきである。
(三) じん肺症患者の余病死について
じん肺症は、不可逆性の疾患であつて、これを根治することはできない不治、難治の病であるから、これに罹患し治療している間に余病を併発し、その余病がもとで死亡したような場合には、余病を併発せずにじん肺患者としてじん肺によつて死亡した場合と同様に取扱うべきである。すなわち、じん肺患者がその治療中に併発した余病によつて死亡した場合、その死亡はじん肺と因果関係がないとするならば、同じ不可逆性の疾患に罹患していながら余病を併発せずにじん肺で死亡した患者がその死亡について業務上の認定を受けるのに対比して、公平を欠くからである。
よつて、本件処分は事実誤認に基づく違法なものであるから、その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1のうち、亡裕行が紀州診療所に入院した日は不知、亡裕行の胃がんがけい肺結核症に起因するものであつたことは否認、その余の事実は認める。
同2、3記載の事実はいずれも認める。
同4・(一)中、(1)は認め、(2)のうち亡裕行が昭和三七年一月一五日以来、紀州診療所に通院し、治療を受けていたことは認め、その余の事実は不知、(3)ないし(5)記載の各事実はいずれも否認する。同4・(二)記載の事実は否認する。同4・(三)は争う。
三 被告の主張
1 本件処分の経緯
(一) 亡裕行は、紀州鉱業所において、昭和二一年五月から坑内夫として勤務していたところ、同三七年一月一五日、じん肺法(昭和三五年法律第三〇号)一三条に定めるじん肺管理区分決定手続によつてじん肺管理区分「管理四」と決定された。
そして、亡裕行は、昭和三七年一月二二日から紀州診療所において通院加療を受けていたところ、同四八年二月二五日ころ、過食すると心窩部に痛みがあることから、担当医に同診療所内の他の医師に胃の精密検査を受けるように指示された。しかし、亡裕行は、この指示に従わず、右精密検査を受けることなく、昭和四八年二月下旬、郵政省の実施した胃の集団検診を受けただけであつた。なお、右集団検診によれば、亡裕行には所見がないとされた。
(二) その後、亡裕行は、血性の吐物を嘔吐したり、レントゲン写真によると胃の変形が強かつたりしたので、医師の指導によつて、昭和四九年七月一日、新宮市立市民病院に転院した。
亡裕行は、右転院当時、栄養状態がひどく、病変部からの出血により貧血も高度であり、転院した翌日(昭和四九年七月二日)に実施した胃透視の結果によつても、胃体部小彎側前壁寄りに大きなニツシエ(壁凹)があり、しかも悪性であることが否定できず、噴門部近くまで硬化している様子で、組織に弾力性がなくなつていたため、担当医は、同月三日ないし四日以降の治療方針として、静脈的に水分、ビタン剤あるいはある程度の栄養補給をすることとし、胃からの持続性の出血を考え、止血剤、潰瘍治癒剤を静脈的に注射した。
更に、亡裕行の担当医は、昭和四九年七月六日、亡裕行の胃のフアイバーコープの挿入を試みたが、胃内への挿入はできなかつたため、これを中止するとともに、同月二日に、実施された胃透視のレントゲン所見と合せ考え、亡裕行の胃の病変はがん性のものと判断したが、この日ときの亡裕行の状態は、仮に胃の状態が亡裕行と同様で、しかも他に何も病変のない人間がいたとしても、既に根治手術ができないことが多く、もし手術を行なつたとしても延命はまず考えられないというほどのものであつた。
そこで、亡裕行の担当医は亡裕行に対し、少しでも栄養をつける意味で補液や輸血を行なうという治療方針をとつたが亡裕行は、昭和四九年八月一六日、午後一時一七分、胃がんにより死亡した。
そこで、被告は、亡裕行の死亡を原因として、亡裕行に対する長期傷病補償給付の受給権消減決定をなしたところ、昭和四九年八月二三日、原告は被告に対し、遺族補償年金給付請求及び葬祭料請求をなした。そのため、被告は原告に対し、同年一〇月二三日、右各請求について、亡裕行の死亡は、それまで罹患していたけい肺症とは相当因果関係がないから、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という。)一二条の八、労働基準法七九条及び八〇条にそれぞれ該当しないので、本件処分に及んだものである。
2 けい肺症と胃がんとの因果関係について
けい肺と胃がんとの間には、けい肺の発生によつて胃がんが誘発されるという関係は何ら存在しない。
すなわち、たとえ、けい肺によつて慢性的酸素不足の状態が続いたとしても、このことから胃に腫瘍又は炎症が発症しやすいといつたことはないし、じん肺患者に、肺以外の臓器にがんが多発するといつたこともないのである。
3 胃がんの根治手術に対するけい肺症の影響について
亡裕行は、昭和四九年六月二六日ないし同年七月四日ころに胃の腫瘍が疑われたとみられるところ、このころ、亡裕行は、胃の病変による栄養失調の状態にあるとともに当該病変部からの出血等によつて体力が著しく衰弱し、重篤な貧血及び低蛋白血症の状態にあつたため、胃の手術は不可能となつたのであるから、亡裕行の胃がんについて根治手術ができなかつたのは、けい肺症によるものではなく、胃がんに固有の病変のためである。
このように、亡裕行について、胃がんが発見されたときには、既にいかなる手術も不可能であり、しかも、その原因は胃がんそのものによるものである。
つまり、じん肺患者が、他の疾病を併発して、これによつて死亡した場合に、労災保険法上、これを業務上の死亡と認定できるのは、併発した疾病に対する手術が可能であるにもかかわらず、じん肺症そのものがこれを妨げていると判断されることが必要であり、亡裕行のように、じん肺症そのものが併発した胃がんの手術を妨げたのではなく、業務外の事由により生じた胃がんそのものが末期的症状を呈していたために手術ができなかつたような場合はこれに該当しないのである。
4 また、労災保険法は、同法一二条の八第二項からも明らかなように労働基準法における使用者としての災害補償責任という考え方を立法趣旨の根底としており、同法は、同法上の保険給付の対象となるものを、業務上の事由又は通勤による労働の負傷、疾病、廃失又は死亡に限定しているのであつて、私傷病による保険給付は対象とはしていないのであるから、業務上の事由によつて疾病を被つた者であつても、業務外の事由によつて死亡する可能性がある以上、これを業務外のものとすることは当然である。
5 以上のとおり、被告が原告に対してなした本件処分には何ら違法事由がないから適法である。
第三証拠 <略>
理由
一 原告と亡裕行とは夫婦であつたが、亡裕行は紀州鉱業所に坑内夫として勤務していたところ、昭和三七年一月一五日、じん肺法によるじん肺管理区分の管理四と決定され、けい肺による高度の心肺機能の障害その他があつたため、同月二二日から紀州診療所にけい肺結核症の疾病で通院受療していたこと、その後、亡裕行は胃腸障害を訴え、食欲不振となつたため、紀州診療所に入院し、更に昭和四九年七月一日、新宮市立市民病院に転院加療していたが、同年八月一六日、胃がんによつて死亡したこと及び請求原因2、3記載の各事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、次に、亡裕行の死亡が業務上の事由によるものか否か、つまり、亡裕行が胃がんによつて死亡したことがそれまで罹患していたけい肺症といかなる関係があるのか検討する。
1 前記争いのない事実に、<証拠略>を総合すると次の事実を認めることができ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
亡裕行は、けい肺症のため紀州診療所に通院加療していたところ、昭和四八年ころ、不定の心窩部痛、心窩部不快感、食欲不振、悪心などがあり、特に同四九年四、五月ころから食欲不振、心窩部痛が著しくなり、同時に、同年一月ころに四一キログラムであつた体量も三四キログラムぐらいになつたため、同年六月二四日、紀州診療所に入院した。しかし、亡裕行は入院後も、胃の不快感とともに腹部膨満感を訴え、食事も進まず、吐血したりしたため、昭和四九年七月一日、新宮市立市民病院に転院した。
ところで、新宮市立市民病院において、昭和四九年七月二日、亡裕行について胃透視を実施したところ、胃体部小彎側前壁寄りに大きなニツシエ(壁凹)が所見され、胃上部近くまで硬化していると考えられたため、更に、同月六日、フアイバースコープによる胃検査を実施したが、同スコープは四二センチメートルの所までしか挿入できず、しかも同スコープにはコーヒー残渣様液が付着していたので、亡裕行の担当医である高山之男医師は、亡裕行が胃がんに罹患していると診断したが、亡裕行の胃がんの進行度は既に根治手術できない程度であつて、亡裕行自身の体力も衰弱していると考え、開腹手術による侵襲をおそれて、胃がんの根治手術を実施せず、補液と輸血をしていたが、亡裕行は、昭和四九年八月一六日、胃がんによつて死亡した。なお、亡裕行については解剖はなされなかつた。
2 次に、亡裕行の死亡原因は、前記のとおり、胃がんであるが、亡裕行の胃がんが、けい肺症と同じく、亡裕行が坑内夫として勤務していたことによつて発症したか否かを検討する。<証拠略>によれば、クロムその他じん肺の発生因子となる物質を体内に吸入すると、これらがじん肺の原因となるのみならず、がん源物質でもあるから、吸収されたうえ肺だけでなく他の臓器にも付着して発がん要因となりうることが認められ、しかも、じん肺を肺局所の病変とだけ考えるのではなく、全身病変の面からの研究がなされており、胃がんとの関係もこの面から研究がなされていることが認められる。
そして、亡裕行は、前記のとおり紀州鉱業所の坑内夫としての勤務によつてけい肺症に罹患していたのであるから、右勤務の間に、各種金属類の粉じんを吸引したと推認されるところ、<証拠略>によれば胃がんについて、鉱山労働者の発症率が高率であつて、その原因として社会経済階層の影響と、職業環境とが重なつて作用していることが指摘されていることが認められる。
また、<証拠略>によれば、じん肺患者には、同証人の経験からすると肺がんのほか胃がん、喉頭がん等で死亡する者が一般の老人の場合よりも多いと思われることが認められる。
しかしながら、右のところから、直ちにじん肺と胃がんとの関連性ないしけい酸じん暴露と胃がん発生との因果関係を肯認することは、もとよりできず、一方、<証拠略>によれば、現在、じん肺と肺がんの関係について各種研究及び検討がなされているが、現段階では、なお因果関係の存在を積極的に肯認するまでには至つていないものと認められ、またひ素、カドミウム、ニツケル等について肺がん、前立腺がん、鼻腔のがんとの関連性が肯定されているが、けい酸についてはコバルトとともに発がん性については否定的に解されており、その他、じん肺と肺がん以外のがんとの関連性は必ずしも肯定されていないと認められる。
以上を総合すると、各種粉じんの吸入、吸飲と胃がん発症との関係については、現在、なお、研究がなされているものの、いまだ両者の間に原因、結果という関係があるとは認めることができないといわざるをえない。
したがつて、亡裕行が紀州鉱業所において坑内夫として勤務したことと同人の胃がん罹患との関係もまたこれを認めることができないというべきである。
3 次に、亡裕行は、けい肺に罹患していたため、胃がんの根治又は延命手術を受けえなかつたか否かについて検討する。
(一) <証拠略>によれば、胃がんの発育経過は一般的にいえば、早期がんは隆起型で一年未満から五年以上、陥凹型で一年七か月から六年一か月、粘膜下に浸潤したがん(陥凹型・隆起型)で三、四年であり、進行がんは平均四年前後で、そのうちでも潰瘍合併のものは長く経過し発育の遅い傾向のものがみられることが認められるが、亡裕行の新宮市立市民病院での担当医であつた<証拠略>によれば、亡裕行の胃がんは胃透視の結果からして陥凹型であると思われるが、年令的なことを考慮しても半年から二年ぐらいの幅のある発症経過としか推認できないことが認められる。
(二) <証拠略>によれば、亡裕行は、昭和三九年九月ころ、既に胃に痛みのあることを訴えており、また同四六年七月二五日心窩部痛を訴えるなど早くから胃に疾患を有していたことが認められ、そして<証拠略>によれば、同証人は昭和三九年二、三月ころから亡裕行のけい肺など内科疾患を診察していたが、昭和四八年二月初旬、亡裕行から胃の不調を訴えられ、同人の年令を考えて胃がんを疑つたので、同じ紀州診療所の土橋修医師の検査を受けるように指示したこと、亡裕行は、同証人の指示があつても土橋医師の検査を受けず、昭和四八年二月下旬ころ、郵政省の胃の集団検診が行なわれた際、同時に受診したが、所見なしと診断されたこと、後日、榊原医師はそのことを知つたが、その後亡裕行に対し格別の指示をしなかつたことが認められ、また、<証拠略>によれば、榊原正純医師は、昭和四九年二月一六日付で亡裕行の労働者災害補償保険用診断書を作成しているが、これには、療養中に、けい肺とは関係のない症病について療養を行なつた場合には、その傷病名、療養の概要等を記載すべき欄があるところ、同医師は亡裕行の胃腸障害について何ら記載していないことが明らかであり、以上のところからすると、同医師は亡裕行の胃がんの疑いについては、その診断についてそれほどの根拠を有していなかつたのではないかと推認される。
(三) 以上のところからすれば、亡裕行の胃がんは、前記1で認定したごとく昭和四九年春ころ以降進行したことは明らかであるが、原告主張のごとく昭和四八年二月ころ既に胃がんに罹患していたものと認めることはできず、その発症の時期については、亡裕行の剖見がされていないこともあつて結局、これを確定することはできないというべきである。
(四) そして<証拠略>によれば、亡裕行は、胃がんと診断された昭和四九年七月六日当時には既にけい肺症にかかわりなく胃がんそのものによつて開腹手術自体による侵襲に耐ええない状態であつたと認めることができる。
以上のとおり、亡裕行が昭和四八年二月ころ胃がんに罹患していたとの事実は、これを認めることができず、同人が新宮市立市民病院で高山医師によつて胃がんと診断されたときには、既に胃がんそのものによつて到底手術に耐えられないような身体の状態であつたと認められるのであるから、けい肺症のために根治、延命手術がなしえなかつたものとする原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく採用することはできない。
4 なお、原告は、亡裕行は、けい肺患者であつたから、その余病である胃がんで死亡した場合にも、余病を発症することなくけい肺で死亡した場合との公平上、亡裕行の死亡も業務上の事由によるものとすべきであると主張しているが、右は労災保険法の立法目的、立法趣旨を超えた原告独自の見解であり、到底採用できない。
三 以上によれば、亡裕行の死亡が同人の罹患していたけい肺症に原因すると認めることはできないから、本件処分には原告ら主張のような違法は存しない。
よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 上野精 大津卓也 秋武憲一)